加藤八右衛門 プロフィール
1971年、中学1年生のクリスマスに父から、「SEKOVA」のフォークギター(約1万円くらいだと思う)を買ってもらってギターを始める。
当時、中津川フォークジャンボリー(岐阜県中津川市)の模様を「岐阜ラジオ」で何度も聴いており、音楽的には「加川良」「高田渡」「岡林信康」「五つの赤い風船」等に傾倒していたが、あいにく楽譜(コード譜)がなく、初心者で「耳コピ」もままならず、しかたなく妹の持っていた「明星ヤングソング」(明星の付録)で、あがた森魚の「赤色エレジー」やビリーバンバンの「白いブランコ」等を弾く。
学校の教室で「井上揚水」の「東へ西へ」を弾いて歌ったら、ヒーローになった。
その後「吉田拓郎ライブ’73」で、電子楽器のすごさに震え、「ピンク・フロイド」、「プロコルハルム」、「キングクリムゾン」、そして「ユーライア・ヒープ」、「10CC」等で音楽志向形成。

1975年、高校2年の文化祭の時、「マンスケ・バンド」でバンドデビュー。高校の体育館のステージに上がり、快感!これはやめれんと思った。
はじめて買ったエレキギターは「ウエストミンスター」の「SG」。ギターケースを母に布きれで作ってもらう。
練習は、電気屋の友達の家でするが、うちの田舎では、まだエレキは不良と言われていた最後の時代だったので、けっこう肩身の狭い思いをする。
1978年、大学に入り上京。本格的音楽活動に入る。
「マギーメイ」(オリジナルポップロック、「オベーション」(アンプラグドバンド)、「サブマリン707」(ジャズフュージョン)、「チャウチャウ」(オリジナルロック)など、バンド活動を精力的にこなす。
新宿「JAMJAM」、吉祥寺「シルバーエレファント」、渋谷「エピキュラス」、「セイシェルズ」、お茶の水「日仏会館ホール」、静岡県三島市「三島市公会堂」などでLIVE活動。
「チャウチャウ」の「チョンボでサンバ!」という曲で「第2回MAZDAカレッジサウンドフェスティバル」(日本青年館大ホール)に出場し、惜しくも準優勝。ちなみにその時の優勝は、「尾崎和行とコースタルシティ」という大阪から来たバンド。このバンドは、後に「ポプコン」「世界歌謡祭」でもグランプリをとったすごいバンドなのだ。それじゃあ、負けちゃうよ。
副賞にYAMAHAでレコーディングしてもらう。当時の音楽雑誌「ロッキン f 」に大きく写真が載り、うれしい。5冊も買ったが、今はない!(古本屋で探して!)
しかし、プロの道は厳しく、あきらめのいいメンバー全員は、さっさと一般企業へ就職。よって解散。たび重なる引っ越しの末、ギターもエフェクター類もほとんど紛失。
1988年、松本伝助と北海道ニセコの五色温泉にて日本酒の「熱燗」をちびちびやりながらバンド結成を約束。
1989年、御玉霊心会の前身である「ザ・セールス」結成。バンド名変更とメンバーチェンジを重ね、現在に至る。
尊敬するギタリストは、「森園勝敏」(四人囃子・プリズム他)、「青山徹」(愛奴・吉田拓郎のバックギター、TVでムーンサルトを弾いて有名になった)。
あちらでは、3大エリックの「エリック・ゲイル」「エリック・ジョンソン」「エリック・クラプトン」ですかね、やっぱ。
もちろん「成毛茂(なるもしげる)のソノシート」にも師事。